プロフィール

ある日私は【重症心身障がい児】の父親になりました 障がい告知までの話

いつもブログを読んでいただいてありがとうございます。

今回は、少し真面目な話をします。

はやしょう家は妻と子供2人の4人家族です。

そして次男は【重症心身障がい児】です

生後5ヶ月で「歩くこと」「喋ること」「長く生きること」全てが出来ない障がいがあると告知され、私は障がい児を育てる父親になりました。

父親目線で次男妊娠~この出来事を綴りたいと思います。

最後までお付き合い頂けますと幸いです。

次男妊娠~出産までの話

 ー妊娠中ー

長男が産まれてから数年後、次男の妊娠が発覚。真冬の寒いときだったと記憶しています。同時に転勤も決まり、慌ただしい日々を過ごしていました

仕事も私の希望部署への異動が決まり、驚くほど人生が順調に進んでいるなと思っていました。

妊娠3カ月

この頃、妻は非常に重いつわりに襲われました。

吐くものないけど吐いて、血も吐いて最終的に水さえも受け付けなくなったので、入院することになりました。毎日点滴をしてつらそうな妻を今でも覚えております。

仕事も忙しく、何とか空いてる時間に長男とお見舞いに行き妻を励ましました。

当時の私は、今と比べると仕事に重きを置いた生活をしてました。我が家は片働きだったので私は稼ぐことが大事と考えてました。

今振り返ると有給休暇を取り、家族のサポートをもっとすべきであったと反省しています。

妊娠4カ月

私は、希望の部署異動が叶い、それと共に転勤となりました。転勤先は縁もゆかりもない雪国。家族を残して、一足先に一人で引っ越ししました。引っ越し初日朝起きると車が埋もれる程の大雪に絶句しここで生活できるのだろうかと不安になりました。

妊娠5ヶ月

妻と長男がやってきて家族3人の生活がスタートしました。

次男の性別も判って、兄弟を希望していた私、妻、長男も大喜びです。長男と次男を公園に連れていき、鬼ごっごして走り周る日が来ると当時は信じて疑いませんでした・・

妊娠7ヶ月

切迫早産ということで転院した大きな病院で【赤ちゃんが小さめ】と告げられました

『小さめだけど、特別小さい訳じゃない。頭が小さくて足が長い、スタイルの良い赤ちゃんだね』

医師の平均よりも小さいという言葉に妻は少し不安になっていましたが、私はスタイルの良い子になるなと喜んでいました。夫婦で対照的な反応です。もしかすると妻はこの時から何か感じていたのかもしれません。

ー出産ー

臨月に入る少し前、妻は里帰りしました。今回は誘発分娩を予定していたので私は仕事を休み、出産に立ち会いました。

2時間かからずのスピード出産

私は大号泣です、長男出産の際も私は号泣しました、出産は本当に色々な想いがこみあげてきます。

推定体重より小さい2600gでの出産でしたが元気な産声をあげてくれて一安心

死ぬ想いで、次男を産んでくれた妻に感謝の気持ちでいっぱいでした。

次男出産後~告知までの話

 ー出産後ー

出産を終え、特に問題もないということで無事に退院

産後1ヶ月は妻の実家でお世話になりました

次男の様子を電話やLINEで聞く、毎日。家族4人で生活する日を待ちわびていました。

 

生後1ヶ月

妻・長男・次男が遂にやってきました。待ち望んでいた家族4人での生活。

この頃、次男は酷い向き癖がありました。

寝るときはいつも右を向いていました、まっすぐに戻してもすぐまた右を向く。当時の私はただの向き癖強いなと思ってましたが、今思うと反り返りだったんです。

脳に障害があると、反り返りが強くなる特徴があります。次男はまさにこれでした。

生後2ヶ月

この頃、妻があることを不安に思っていました。

あまり授乳が上手くいかない・授乳をしようとすると泣いて嫌がる

お腹が空いてるはずなのに、授乳の時間になっても全力で顔を反らし、ぎゃーーーー!!と泣きわめく。

毎日続くので、さすがの妻も少し疲れていました、長男は授乳大好きっ子だったので、何か違うなけどそういう子なんやと思っていました。今振り返るとのんき過ぎますね。

生後3ヶ月

妻が次男を連れてインフルエンザの予防接種を受けに行きました。

先生に首すわりやおもちゃを使い追視の確認をしてもらい

先生『少し物を見る力が弱いのと首すわりが遅いかな~と感じます。反り返りもちょっと強いかな。家ではどうですか?』

妻「私やお兄ちゃんの姿を追ったりはしていますけど・・・首すわりはまだまだな感じがします」

先生「お母さんが心配なら大きな病院を紹介しましょうか?あ、でももうすぐ4ヶ月検診があるね。私が担当だからそこまで様子見てみよっか。お家でおもちゃを見る練習とかしてみて」

妻「はい、分かりました」

このようなやり取りがあったことを聞きました。

妻はもしかして病気や障がいがあるのかな?と不安がっている

一方で私は

次男に障害なんてあるわけない、実際長男も成長が遅いと心配だったけど今は何の問題もなく元気に成長してるやん。心配しすぎや、次男は絶対大丈夫!と何もないことを確信していました。

【次男は絶対大丈夫】と確信する一方【確かに首すわり遅いな、目線もあまり合わないな・・】と心が毎日揺れ動いていました

 生後4ヶ月

4カ月検診の日がきました。私は仕事を休み、妻・次男と3人で会場に向かいました。

会場にはたくさんの赤ちゃん、おおよそ20~30人ほどいました。

次男はあおむけで寝ているだけ、

他の子はおもちゃを持って遊んでいたり、自分の足首を持ったりしていました。

比べるとできることが圧倒的に少なかったです。

次男の首すわりと追視チェックの順番がやってきました。

残念ながら、首すわりも追視も再検査となりました。

最後に先生の診察があり「次男くん」と名前を呼ばれ、診察室に入りました

うつ伏せや引き起こしで首すわりのチェック、おもちゃを使った追視のチェック、足を叩いて反応を見たりしました

先生『一度、大きな病院で検査してもらいましょう』

私「異常があるってことですか?」

先生『現時点ではなんとも言えないです。何かあるにしろないにしろ、早くみてもらって早めに対処した方がいいと思います』

私「分かりました。じゃあ行ってみます」

次男を抱っこし診察室を出ました

妻「やっぱり再検診になったね」

私「そうやなぁ、けどまぁそれは分かってたことやん?とりあえず早めに病院行こうか」

妻「そうやね」

そのあと保健師さんから色々話をしてもらい、紹介状をもらって健診を後にしました

次男は確かに他の赤ちゃんと比べて出来ることは少ない。だけど少しずつ首も座ってきたし、障害なんてあるわけがない。そう信じていました、いやそう信じたかったのかもしれません・・

ー病院での診察ー

この日はどうしても仕事を休めず、妻・次男を病院に送り私は仕事に向かいました。不安でいっぱいな妻を一人にして本当に申し訳なかった。

家に帰り結果を妻から聞くと

首すわりも追視も上手くいかなかった。脳に問題がある可能性があるらしくMRIを撮ることになった。

MRI??生まれて4カ月の赤ちゃんがそんな検査受けるの?ただ成長が遅いだけやのに・・私はまだ次男はちょっと成長がゆっくりなだけと自分に言い聞かせていました。

この日は12月も下旬に差し掛かる頃でした。世間はクリスマスモード、街は綺麗にライトアップされていて、私たち夫婦の心情と対照的な光景でした。

 ーMRI検査 運命の日ー

とうとうこの日がやってきました。大雪の1月下旬の水曜日、結果的にこの日は忘れることのできない日となりました。

仕事を休み、長男を幼稚園に送った後、妻・次男と3人で病院に向かいました。

小児科で受け付けを済まし、身長と体重を測って血液検査のために採血へ

小さな小さな次男が注射を痛がって泣くのを聞くのは本当に辛い、こんなことになって本当にごめんと心の中で謝ることしかできません。

MRIを受けるためには眠らせなければいけないので、真っ赤な目の次男を妻が抱っこして睡眠薬を飲ませました

お昼寝がまだだったこともあり、すぐに寝てくれました。

看護師さんに知らせ、すぐにMRIに入ることになりました

 技師さんから『途中で起きてしまうと正確にデータを撮れないから中断することになるかもしれない』と説明を受けました

大きな機械の中一人で入る次男

一緒に中に入ってあげたいけどそんなことは出来ず、妻と二人外で検査が終わるのを待ちました。

30分ほど経ち、『終わりましたよ』と声をかけられ、急いで検査室に入るとそこにはぐっすり寝たままの次男

検査の結果が出るまで時間があったので病院の食堂で昼食を食べました。

実はこの日、主治医がインフルエンザでお休みだったので「検査の結果は後日にしてもらえませんか」と言われました。早く検査結果が知りたかった私は

「技師さんでも診断は出来るはずやから、結果だけでも教えて欲しい」と食い下がり、他の先生から診断結果を受けることになりました。

ーMRIの結果ー

お昼ご飯を食べ、再び小児科へ

周りには誰もいなく患者は私たちだけ

「〇〇さん」名前を呼ばれ、結果を説明してもらうため診察室に入りました。50代くらいの女医さんでした。

最初に

『すみませんが私は神経担当ではないので詳しくご説明は出来ません。技師からの結果のみをお伝えしますので、来週主治医から詳しくご説明します』と先生から前置きがありました。

MRI画像を見せてくれました

「ご覧の通り、脳にある皺の数が普通の脳に比べてかなり少ないです。これが影響して脳からの信号が全身に上手く送れていないと思われます」

明らか健常者の脳とは違いました。職業柄少しは画像を読むことができたのです。

「何という病名ですか?」と聞くと

「〇〇症です」

「脳のしわは増えることはもうないのですか?」

「可能性は低いと・・詳しいことは来週主治医に聞いて下さい」

「分かりました」

茫然自失、唖然、放心状態。まさにこんな状態でした。次男の手を握り診察室を出て、私病院正面玄関まで車をまわすため外に出ました。

外を見ると大雪です、傘もささずに静かに泣きながら雪道を歩きました。車につきスマホで次男の障害を検索しました。

そこには衝撃的な言葉が並んでいました。

  • 予後は非常に致死的
  • 大多数の患者が3歳以前に死亡する
  • 大多数の患者が生後3-5か月レベル以上の発達を示さない
  • 食事摂取障害がある
  • 難治性てんかんが起きる
  • 脳に関しての治療の余地はない

 分かってはいましたがどれだけ検索しても、悪いことしか出てこない

まだ信じたくない私は、「〇〇症 治る」など良い情報はないかと探しました。何分たったのかは覚えていません・・・当然ながら良い情報には辿り着きませんでした。

妻と次男を病院玄関まで向かいにいき、家に帰りました。

帰り道、次男は車の中で笑っていました、車の振動が心地良いみたいです。ミラーをみると妻が静かに泣いていました、私も目の前がぼやけて前がよく見えず必死に運転しました。

 MRIを撮ってからの1週間は妻と色んな事を話しました

色んな事を調べました

次男は寝たきりになる可能性もある、医療行為が必要になる可能性もある

けど、出来ることが増えていく可能性もあるなら、私はこの子のためになんでもやってあげたい。

次男が笑顔になるために何ができるのか?そのためには出来る限りのことは試してみる!

夫婦で決意を固めました。

 ー告知ー

今までとは違い、強い覚悟を持った状態で病院に向かいました。次男の障がいは誤診の可能性もあるとほんの僅かな期待も持っていました。

私たちは午前の一番最後の診察で周りに誰もいなくなった頃、名前が呼ばれました

『先週はごめんね~。急に休んでご迷惑おかけしました』

明るく話しかけてくれる先生。

『じゃあのMRIの結果を詳しく説明していきますね。先週他の先生から説明があったと思うけど、次男君の脳はここが他の子と違っているのね』

先生は比較のために同じ月齢の子の脳の写真を並べて出してくれました

『診断名としては〇〇症です』

「これは確定診断ですか?」

『はい、そうです』

 分かっていたはずだけど、聞いた瞬間に涙が出ました

次男は歩くこともしゃべることも難しいんかー。

パパって呼ばれることはないんかな?

公園で走り回ることもできひんのかな?

弟と遊ぶのは楽しみにしてる長男には何て伝えようかな

俺がなんか過去悪いことしたんかな?もしそうやったら神様何とか許してくれませんか?

様々なことを考えていました。

最後に妻が非常に聞きづらい質問をしました。

「先生、ネットでこの病気の子は3歳までに亡くなるって書いてたんですけど、次男はもどうなんでしょうか?」

『そうですね、次男くんの場合は合併症もないので今すぐどうこういうのはないと思います。この病気の子は感染症が重症化しやすいので肺炎で亡くなったり、てんかんが起きたら状態が悪くなってしまう可能性もあるので、そこら辺は注意が必要です。でも20歳まで生きてる方もいるみたいですしね!」

 先生は明るく答えてくれました

少しだけ安心しました。

ー告知後ー

次回の予約をして診察が終わりました

その日の夜子供たちが寝静まった後、ベッドで眠る子供たちを見ながら妻が私に言いました

 「ごめんね」

泣き始めた妻を抱きしめて

「なんでやねん」

 と言って私も泣きました

 「みんなで思い出たくさん作ろうね、私、頑張るわ」

 ドラマのようなセリフですが、これは現実

 この日きちんと二人で泣けて良かったなと思います。

告知から2年が経過

 告知を受けてから2年が経ちました。

私たち家族は元気に楽しくドタバタとした毎日を過ごしています。

もちろんつらいこともあります。

何度か救急車で運ばれたり、入院したり・・

2歳になった今でも首も座っていない、もちろん言葉も話せないですが、ゆっくり成長してくれてます。その成長を感じられることが嬉しく、本当に愛おしい子です。

私自身も次男の障害が発覚した後、人生の軸が大きく変わったように思います。以前であれば会社で昇進する為にがむしゃらに仕事をしていました。単身赴任も仕方ないと思っていたし有給もほとんどとらず、帰宅した頃には子供は寝ている。そんな毎日でした。

今は、家族との時間を増やすことが軸となっています。短い時間で大きな成果を出す、可能な限り早く帰り子供たちと向き合う。やってあげられることは非常に少ないですが、少しでも次男の状態をよくしてあげたい、そして私たち家族が仲良く楽しい毎日を過ごしたい。このような想いで日々生きています。

障がい児の親になる。

もちろん考えていませんでしたし、別世界と思っていました。

ある日を境に私は障がい児の親になりました。誰にでも可能性はあります。健常者の子供では経験できないこともたくさん勉強させて貰いました。父親としてゆっくりではありますが、出来ることも増え成長できたと感じています。

今後も様々な壁にぶつかると思いますが、そんな時こそ家族みんなで前向きに生きていきます。

障害はあまり馴染みのない存在かもしれません。私たち家族はほんの1例ですが、何か気づきや参考になればと思い、綴りました。これからも家族共々頑張ります!

長くなりましたが、最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。